テスラのある生活
テスラとラジコン〜「あきらめない」というメッセージ
2023.05.02
テスラがやってきて1ヶ月。ふと、子供の頃に遊んだラジコンを思い出しました。子供時代の私にとって、ラジコンは玩具であると同時に憧れの対象でした。フロントタイヤとリアタイヤの間に乾電池、そしてモーターで走るシンプルな構造。スティックを思い切り前に倒せばフル加速。「ああ、テスラの構造はラジコンと同じなんだ」と思いました。数十年前のあの感覚がよみがえってきたのです。
当時、裕福な友達は高価なラジコンを持っていました。中にはエンジン付きのものを持っている子もいて羨望の眼差しで遠くから眺めていました。私のラジコンは安くて小さなボディ。1人で楽しく遊べましたが、どこかにぶつかるとすぐにボディが外れてしまう代物でした。
大人になり、そして歳をとり、ラジコンのことなどすっかり忘れて社会に組み込まれながら働いてきたある日、テスラの存在を知りました。電気自動車などさほど興味はなかったはずなのに猛烈な勢いで感心を持つようになっている自分。テスラの暴力的な加速性能、遊びゴコロのある様々な機能、イーロンマスクの理念をYouTube等で知り、いつしか憧れへと変わっていきました。私は国産のPHVに乗っていたこともあり、「いつかは自分も」と思うようになりました。
ようやく手に入れて思うのは、実物大のラジコンを操っているワクワクな日々がそばにあること。スティックはスマホに変わりワイヤレスで操作できる。電池が無くなる心配はあれどそれすら込みで楽しめる日常。
スーパーチャージャーで出会う見ず知らずの人たちの笑顔と気恥ずかしさを超えて子どものように語り合う化学反応がテスラの価値のひとつと気づいたときの何とも言えない幸福感。便利な世の中にテスラは充電の不便ささえもコミュニティに変えてしまう仕掛けをインストールしてたのかも。この感覚はまさにプライスレス。とにかく童心に帰ったような日常が待っていたのでした。
テスラの話題からすこし脱線しますが、私は子供の頃からスピード好き。ラジコンはもちろん、多段ギアの自転車に乗って友達と競争したり、スポーツカーやレーシングカーを見るのが大好きでした。音楽も好きでしたが特にHeavy MetaやXJAPANのような速い曲が大好物。ギターは速弾きにいそしみ(速弾き、伝わりますか?汗)、中学時代の将来の夢は上京してバンドを組むことでした。
高校一年16歳のとき、悪性腫瘍で右足を失いました。当時はパラリンピックやスポーツ義足など知られていない時代。足を失うことは走ることをあきらめることでした。私はもう二度と走ることや頬で風を感じることはないと嘆き、学業も社会でも、もう人並みの暮らしはできないのだろうと絶望しました。
同じ病棟にいた同じ病気の若者が次々と亡くなるのを目の当たりにし、「明日はわが身」と一時期はかなり腐りました。そんなある日たまたま父の友人がZ31型のフェアレディZを見せてくれました。いかにも速そうなスタイルに一瞬で虜になりました。
「右足を失ってもオートマならスポーツカーに乗れるんだ!」この瞬間、目標ができたのです。18歳になってすぐに運転免許を取得。Z31は高すぎて手が出ず、S130型フェアレディZを中古で購入。安かったせいか故障がひどく短期間で手放したのですが・・・RX-7を見にディーラーを訪れたところ、なぜか隣に置いてあったルーチェV6ターボが気になってしまい、60回払いで買いました。当時はハイソカーブーム。クラウンやマークII、セドリックが大人気。セダンで速い車に憧れる若者が多かったのです。私はルーチェから感じる「羊の皮を被ったオオカミ感」に惹かれました。しかしやはりZ31やRX-7には速さで勝てるはずもありません。
その後、RX-7にオープンモデルがあることを知りました。マツダロードスターが誕生する1年前ですが、オープンカーなら風を感じられ、しかもそこそこ速い。ルーチェのローンが残るなか、父に連帯保証人を頼み込んで再び60回払いで購入。給料の大半は飛んで行き、車のために働く生活に突入。
その2年後、いわゆるバブル崩壊で勤務先が倒産し、収入が細ったこともあり泣く泣く手放しましたがRX-7との時間はとても良い思い出です。
約30年前にお別れしたRX-7ですが、実はいま再び一緒に暮らしています。そして念願のテスラもやってきました。テスラは人と被らないし何より速い。現代版の「羊の皮をかぶった狼」だと思います。
ロータリーエンジンとテスラ。時代を変えた2つの車が、私の人生に夢と希望を与え続けてくれています。
私の仕事は、病気や障害を抱えて生きる人々の自立を支援することです。一時期は自立をあきらめた私がこうして自立できたのはあきらめないことの大切さを教えてくれた看護師を始め様々な支援者の人たちのおかげでした。
世間では「自立など無理だ」と困難から目を逸らしチャレンジする前からあきらめてしまう人がいます。しかし私は実現可能性は「自分の心が決める」ことを知っています。そのシンボルがテスラでありイーロン・マスクさんなのです。
テスラの持つ非常識な世界観で常識を打ち破る。病気や障害を持っていても夢や希望があれば、望むものを手に入れることができることを証明していきたいと思っています。
そして、多くのテスラオーナーの皆さんのように、自分らしく活躍している人々の存在に思いを馳せ、いつまでも子供心を忘れずに地域に貢献していきたいと考えています。
私は54歳。あと何台も乗りたい車に乗れないと思い、思い切ってテスラを手に入れましたが正解でした。テスラのある生活とともにスピードのある人生を全力で走りたいと思います。
文/ 直野(なおの)武志
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